2005.06.25 Saturday
「日本競馬狂想曲」あとがき/「言うてしまえ」No.25
15年間、ただひたすら競馬場に通い詰めた。
東京競馬場のパドックに、川崎競馬場のパドックに立ち、馬を見つめた。
世の道理に背を向け、下降する自分自身を見つめた。
そして今、その日々を綴り、「狂想曲」 を作ろうと思い立った。
自らの欲望に従い、自らのロックを信じ、それを世に問う試みである。
競馬で負けた夜、ひっそりと書斎で聞いて欲しい。
「人生とは何ぞや」 と、思いわずらう夜に、ぜひ聞いて欲しい。
そして 「にやり」 と、笑ってもらえれば、この試みは大成功である。
「行け! 川崎帝王号」 のデモテープを録ったのは5年前の事だ。
5年間、競馬の歌を作ろうと思い続けた事になる。
ようやく全15曲仕上がった。
中の峠のスタジオにどれくらい世話になった事だろう。
そして、馬鹿な男を励まし続けた高橋明雄氏にも感謝したい。
54歳にして、初めてのソロアルバムである。
やはり心の底にあるのは、ロックだった。
何度も逃れようとしたのだが・・・
忘れえぬ恋人である。
いまさらロックなどと笑ってはいけない。
このアルバムを作るうちに、少し見えてきたことがある。
'70年代ロックを生んだ大好きなミュージシャン達の想いだ。
なぜ彼等がルーツミュージックを追い求めたのか。
あるいは、なぜ都市、街から離れようとしたのか、よく分かる気がする。
都市の真っ只中で自分を見つめる事など出来はしない。
自然や田舎が暮らしやすいから良いのでもない。
海の底でも、宇宙の果てでも、どこでも良かったのだ。
自分を見つめる、そして、その自分から一歩でも前に出る。
そのために必要なのが、取り敢えず、アウトドアーなのかもしれない。
山の空気を吸い、海の陽にあぶられ、私もレコーディングをして来た。
歌は世につれる。
今も変わらない。
一人の日本人として、日本のロックを今一度作り直し、前進させるパワーと
エネルギーが、自分に残っている事を願っている。
まぁ、硬い話はやめて、一度聴いてみて下さい。
私の「競馬場」へ来てみませんか。
めんたんぴん
佐々木 忠平
東京競馬場のパドックに、川崎競馬場のパドックに立ち、馬を見つめた。
世の道理に背を向け、下降する自分自身を見つめた。
そして今、その日々を綴り、「狂想曲」 を作ろうと思い立った。
自らの欲望に従い、自らのロックを信じ、それを世に問う試みである。
競馬で負けた夜、ひっそりと書斎で聞いて欲しい。
「人生とは何ぞや」 と、思いわずらう夜に、ぜひ聞いて欲しい。
そして 「にやり」 と、笑ってもらえれば、この試みは大成功である。
「行け! 川崎帝王号」 のデモテープを録ったのは5年前の事だ。
5年間、競馬の歌を作ろうと思い続けた事になる。
ようやく全15曲仕上がった。
中の峠のスタジオにどれくらい世話になった事だろう。
そして、馬鹿な男を励まし続けた高橋明雄氏にも感謝したい。
54歳にして、初めてのソロアルバムである。
やはり心の底にあるのは、ロックだった。
何度も逃れようとしたのだが・・・
忘れえぬ恋人である。
いまさらロックなどと笑ってはいけない。
このアルバムを作るうちに、少し見えてきたことがある。
'70年代ロックを生んだ大好きなミュージシャン達の想いだ。
なぜ彼等がルーツミュージックを追い求めたのか。
あるいは、なぜ都市、街から離れようとしたのか、よく分かる気がする。
都市の真っ只中で自分を見つめる事など出来はしない。
自然や田舎が暮らしやすいから良いのでもない。
海の底でも、宇宙の果てでも、どこでも良かったのだ。
自分を見つめる、そして、その自分から一歩でも前に出る。
そのために必要なのが、取り敢えず、アウトドアーなのかもしれない。
山の空気を吸い、海の陽にあぶられ、私もレコーディングをして来た。
歌は世につれる。
今も変わらない。
一人の日本人として、日本のロックを今一度作り直し、前進させるパワーと
エネルギーが、自分に残っている事を願っている。
まぁ、硬い話はやめて、一度聴いてみて下さい。
私の「競馬場」へ来てみませんか。
めんたんぴん
佐々木 忠平