3月31日 晴れ 起床6時
午後4時半。
自転車でマッツへ行く途中に芦城公園を通る。
そこかしこで団体が花見をしている。
桜は6分咲きか。
ジェフリー・ディーウ”ァーのキャサリン・ダンス
・シリーズ、「ロード・サイド・クロス」はネット
が主題。
SNSやフェイスブックに縁はないが、ブログはやって
る訳で。この本の中でブログはこう書かれている。
ー「自分の日記かなんかを露出させる奴は、相当に自
己顕示欲が強い」ー
ディーウ”ァーはブログに否定的だ。
そりゃそうだと思う。でもね、ブログの捉え方は国に
よって違うんじゃないかな。
欧米人の日記がどんなものか知らないが、僕はブログを
日記とは思わない。僕はブログを「俳句」と思っている。
俳句は基本的に他人の目に触れる。
それが面白い訳で。こう云う感覚は日本的なのかな。
「笈の小文」「奥の細道」は、旅の克明な記録と、そこか
ら生まれた作品(俳句)で構成されている。
それらの紀行文は、「イタリアに行きました。感動しまし
た」とは違う。
芭蕉は「生きてるまま」を作品にした。
「奥の細道」は、何度も推敲され本になった。
日記を推敲し、書き直す人はいない。
「その日の生きてるまま」を、僕はブログとしている。
面白いのは、文字にされていないところにテーマがある
こと。テーマは、書かれて後に浮かび上がって来る。
「ブログ」は俳句を一句ひねり出すのと似ている。
曲を作るのとも似ている。
さてと。
ジェフリー・ディーウ”ァー君はロックファンだろうか?
ひとりの若い刑事のキャラクターを説明する中に、こん
な文章がある。
ー ネクタイを少なくとも一本所有しているのはダンス
も確認済みだが、故ジェリー・ガルシアあたりが喜
びそうなサイケデリックな柄のものだった。 −
うーーーーーん。
ジェフリー君、少し甘いなー、残念だ。
「ガルシアあたりが喜びそうなサイケデリック」
この一文は甘い。
昔の米国大統領選挙において。
デッド・ヘッズの票を目当てに、副大統領候補のゴアは、
ジェリー・ガルシア・ブランドのネクタイを締めた写真を
ポスターにした。
風でネクタイがよじれ、裏のジェリー・ガルシアの文字が
読める。米国民主党らしい、アザといポスターだった。
僕はガルシアのネクタイを一本持ってる。
ガルシアのギター・ストラップも持ってる。
ゴアのネクタイも、僕のネクタイも、ストラップも、サイケ
デリックな柄ではない。前衛的ではあるが、サイケではない。
ー グレートフル・デッドの故ジェリー・ガルシアが作った、
超前衛的な柄のネクタイだった。ー
これが望ましい。
ベイ・エリアに住む人が「甘い情報」を広めては駄目よ。
日本には、ネット・オタクも一杯いるけど、デッド・オタク
もいるからね。
イメージでデッドを決めつけてはアカンなー。
デッドの音楽をあるがままに聴かんと。
そんでやね、サイケデリックは素晴らしいからね。
そこんとこもジェフリー君、よろしくね。