9月30日 曇り 起床5時
朝食 厚切り食パン
ソーセイジと野菜の炒め物
ヨーグルト
玉子巻き
青汁
樹木希林と裕也さんが結婚した時。
皆で何でやろうと話してたら、或るギタリストが
裕也さんの結婚理由をズバッと云った。
「オノ・ヨーコとジョン・レノンの真似したかった
んだよ、ユーヤ氏は」
あまりに切れ味のいい意見で、そこにいた全員が納得し
た。真偽のほどは分からないが、ストンと落ちた。
昔、日本のロックは、裕也派とはっぴいえんど派に分か
れた。「ロックは英語じゃないとカッコ悪い」と、「や
っぱ日本語でロックでしょう」の、ふたつに分かれ対立
した。
僕は微妙だった。
日比谷野音で観た「はっぴいえんど」の演奏は悲惨だった
。何と云うか、「ライブなんかやりたくないもんね」そん
な気分が、バンドを覆っていた。
松本隆と鈴木茂だけが本気で、他のふたりには存在感がな
かった。それに比べて、モップスやカップスのライブは大
迫力で、英語だろうが日本語だろうが関係ないと、僕は思
った。
デビューした頃に公明党新聞で対談があった。
立川直樹さん、石坂敬一さん、裕也さん、そうそうたるメン
ツに、若手のバンドマンとして僕も呼ばれた。
のっけに裕也さんは「君たちははっぴいえんど派かな?」と、
さぐりを入れて来た。裕也さんは夕焼け祭りを高く評価して
くれていた。
「いえ、そんなことはありません。僕はストーンズ派です」
裕也さんは微笑んだ。「そうだよね」。
帰り際、裕也さんは着ていた革ジャンは、ニューヨークで買
った安物だと、僕に告げた。
彼は気にしていた。
自分は金にまみれたカッコつけのロッカーではないと。
確か「ジョンに貰ったんだ」と、云ったような気もする。
それ以来、僕はずっと裕也さんに好印象を持っている。
さて、何度も何度も同じことを書いてる。
柴田徹は云った。
「年寄りは同じことを何度でも云えばいいんや!」
まあ、開き直っていたが。
大瀧詠一さん。
妹が大滝さんのアルバムを持っていたので、よく聴いた。
でも「ロング・バケーション」は一度も聴いていない。
「風・街・ロマン」は良く聴いた。
でも、そこにあるのは「静止した風景」であり、その風景
には立体感がなく、透明な敗北感が、うっすらと上品に漂
っていた。
そもそも、ポップスも歌謡曲も好きではない。
音楽の授業は実に退屈だった。
全ては「サティスファクション」の、ファズの掛かったギ
ター・リフから始まった。
僕は解放された。
こんな自分でも大丈夫だと思った。
ロックが音楽だとは今も思っていない。
やはり、鬱なんだろうか。
昔のことばかりが頭の中で息をしている。
絶望的に世の中を見ているのか。
そうかも知れない。
でも、それがどうした。
そんなもんじゃないんか!