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イロニアの音謡
イロニアの音謡 (JUGEMレビュー »)
めんたんぴん
オリジナル・メンバーのリズム隊(寺井貢&石崎三郎)が参加したアルバムとしては26年振りの新譜。Keyに須川光(大活躍!聞けば分かります)、スペシャル・ゲストとして飛田一男(G)も参加。
「めんたんぴん、初めて関東を歌う」(忠平)との事で、北陸は勿論、伊豆や湘南、川崎の風景を織り込んだ曲も。
「♪メキシコの山から〜」と言う歌詞で始まり、ジェット・マシーン(!)がウネるM1、頭のウッド・ブロックやカウベルに思わずニヤリのM2、Mr.SG(最近はSTだが)のチョーキング&ビブラートが楽しめる6/8バラードのM3、かの髭モジャ3Pバンドを彷彿させる熱いブギーのM6、メコン川で腰まで泥まみれ気分のM7、川崎の道路建設現場のドカチン経験から生まれたM9(咽び泣きながら歌ってます)等々を含む、全11曲。
「夏に聴くめんたんぴんのアルバムがあってもいいんじゃない」(忠平)とのコンセプトも含めて完成した、バンド7枚目のアルバム。
初めてアルバムを聴いた時、1stと似ているような印象を持ちました。(特に前半の曲の並びがそう思わせるのだと思います)
日本海側の方は越前海岸や千里浜、太平洋側の方は第三京浜から伊豆辺りへドライブしながら聞いて欲しい一枚です。
文責/管理人

【NEWS】
●アルバム・スポットを2006/8/7のブログにアップしました

●2006/9/9ソロコンサートのポスター、曲目を当日のブログにアップしました

●2006/12/10ライブ告知ポスターを11/16のブログにアップしました

●2007/3/18に「もっきりや」での演奏曲目をアップしました。
お店のコンテンツ「バックステージ」(3/18)にオーナー平賀氏のレビューが載ってます
http://www.spacelan.ne.jp/~mokkiriya/
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めんたんぴん/佐々木忠平のブログ「イロニアの音謡」

70年代中頃バンドでPA&4tトラックを購入、メンバー自らが機材設営を行い、ハイエースに揺られながら全国をツアー、ツインDr&トリプルGtを擁し「日本一のライブバンド」と謳われた「めんたんぴん」の佐々木忠平(Vo)が、己の保守派的思想を吐露、時に日本のロックを鼓舞するブログ。一昨年8月にソロアルバム「日本競馬狂想曲」、昨年6月にはオリジナル・リズム隊では26年振りの、バンド名義の新譜「イロニアの音謡」を発売、ソロライブ活動を開始、You Tube上でソロアルバムのPVを公開しております。
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母の背中に梅雨の雨
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    7月14日   曇り   起床6時半

     

    朝食    フランスパン

          玉子巻き

          キュウリの漬物

          肉団子

          牛乳

     

    昨日、母の弟にあたる叔父(84歳)が亡くなった。

    僕は午後の予定をキャンセルし、夕刻、母を連れて

    叔父の家を訪れた。

     

    母の兄弟は9人。

    叔父が亡くなり、生きてるのは母一人になった。

     

    叔父にはとても可愛がってもらった。

    9人兄弟の中でも、母と叔父は歳が近かったので、仲が良

    かった。突然の死で、僕はまだ実感がない。きっと悲しみ

    は、葬儀が終わってから襲ってくると思う。

     

    母方の先祖は加賀前田藩の下級武士。

    よって母方の人達はみな、士族であると云う矜持を感じさ

    せた。どれだけ貧しくても男の子は大学にやる。例え我が

    子に対しても乱暴な口はきかず、敬語で接した。

     

    長女は看護婦として中国大陸に渡り、弾の飛んでくる中を

    負傷した兵士を背負って逃げる経験をしている。

    終戦間際、八路軍に取り巻かれ、看護婦全員白装束に身を

    かため、自害する寸前まで行った。

     

    幸い、看護施設は攻撃を逃れ、彼女は髪を切り男装し、引

    き揚げ船で帰郷した

     

    戦後、彼女は日本ガンセンターの初代総婦長となり、入院

    した池田元首相のすすめで、自民党から参議院全国区に立

    候補し議員となった。

     

    名を石本茂と云う。

    名前からすると男なんだけど。

    彼女は独身のまま生涯を終えた。

    葬儀の時、美智子皇后より香典と、朝に摘まれたお花を賜っ

    た。

     

    ー 何度か書いたことがあるが −

     

    選挙の時に僕の家で茂さんとふたりになった。

    僕は中学生だった。

     

    「忠平さん、新聞は読みますか」

    「時々やけど」

     

    当時は左翼運動が激しかった。

     

    「新聞読むならね、産経にしなさいね」

    「えっ、産経?」

     

    茂さんは社会党嫌いの共産党好きだった。

     

    「お金に汚い党は嫌いです」

    「共産党の人達は上品です」

     

    母方の「御呼ばれ」で、ロックバンドやってる僕は、親戚

    によく「可愛がられ」た。

     

    「忠平君!君、ひょっとして共産党やないやろな」

    「西洋の分からん音楽より「花笠音頭」を勉強せんと」

    「日本人は、日本の歌を歌わなくちゃ」

     

    いや〜、エジキでしたねー。

    今となっては懐かしいけど。

     

    ー 叔父の死は重い −

     

    僕は頼るべき大事な柱を失った。

    母のことを相談する相手がいなくなった。

    孤独が背中に取りついて来た。

    叔父は大切な人だった。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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